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2001年01月05日

白い花 [ 現代小説 | 短編 ]

ケイミ著 【ケイミのショートショート】

 サークルで一時期ご一緒していた方である。何度かメールのやりとりもさせていただいた。とても素敵な奥様だという印象が私の中にある。
 私自身より幾分か年上の方なので、こんなことを言うのは失礼なのかもしれないのだが、可愛らしいと思える部分が多分にある方で、等身大の美しさが文章にも滲み出てくるタイプの方である。作中のささやかな祈りや悩みが私自身と重なり合う事が多くて、読むとどこかほっとする。センセーショナルなもの、グロテスクなもの、装飾過多のものがどうしても多くなりがちなオンライン小説の中で、日常の平凡の安らかさや美しさを表現されている作品が多くて、私は好きだ。そこには誇張表現されない平凡な悩みや人生が描かれるが、だからと言ってそれが薄いものだと考えている人は、間違っていると思う。日常の中に真理は落ちている。フィクションの面白さが作為だけではないことを教えてくれる作品群なのではないかと思っている。

 サイトのタイトルは「ショートショート」だが、これは量の基準としての「ショートショート」である。「まるで呪文のように」の感想の中でもショートショートの定義について言及しているけれども、二次的な内容的な定義上の「ショートショート」ではないので、「意外なオチ」等を期待して先入観を抱いて読んでいただきたくはない。(先入観で読んでがっかりというのは、やっぱりつまらないので/笑)

 もしかしたら男性読者には共感を得られる部分が少ないかもしれない。だが、反面、新たな発見をするのではないかなと思う。女性が――特にある程度の年を経た、自分の考えを確立させている母性を持った女性が――何を日々考え、悩み、夢みているのかを知りたいならば、読むべきだろうと思う。

 作品の中に出てくる人物は、おそらくは作者自身の思考の一部だろうと思う。作品を書いていると、作品の内容を私小説だと受け取られる場合もあるが、それはある意味では正解だが、別の意味では明らかに間違った読み方だと私は思う。
 作品とは思考の表現だろうと私は思う。(だから単なる娯楽のためだけに計算された作品には、私自身があまり強い魅力を感じないのだろうとも思うのだけれど) 思考そのものを作者の一部と見るならば、作品とは作者を映す鏡だろう。だが、それは作者自身ではない。あくまで思考は作者の一部であって、作品の中の人物像はその思考をデフォルメしたものだろうと思うのだ。美しい希望に満ちた小説を書く人が真実幸福に包まれているかと言われれば、そうではないのと同じで、思考だけを読み取ってその人を類推するのは行き過ぎである。
 ――が、私は作品を通して彼女を類推するのが好きだ。それはその類推を通して時に私の友人を、私の母を、私自身を共感と反発を持って感じとり、考え、自分自身の結論を導き出すのが好きだからだろうと思う。これはある意味で作品を読むという範疇からは逸脱した行為だろうと思う。だが、そうしてしまう日常の説得力が彼女の作品にはある。

 作品群の中からこの「白い花」を選んだのは、そのタイトルの美しさと同時に、登場人物の頼りなくも強い姿と儚く小さくありながら強靭に地面に根を張って一途に咲いている白い花のイメージの重なり合いがとても美しく印象的だったからだ。
 私は――私たちは――確かに一つの花なのだと、日常の磨耗の中で忘れがちなことを思い出したような気がした。
 花は愛でられるべきものだ。人は簡単に自分というものに無価値というレッテルを貼り付けたりするけれども、どんな時でも花を愛でるように自分を愛しんでくれている人はいる。風が吹かないと花であることを忘れてしまう私だから、こうして思い出す瞬間の自分自身が愛しかった。

 私的ツボ度:★★★★☆

Posted by 風間 : 2001年01月05日 00:00 | トラックバック