2000年12月28日
コーヒーメーカー [ 現代小説 | 短編 ]
斎藤麗奈著 【ラブライフ】
若い女性の恋愛に関するピュアで誠実な、どこか狂おしいほどの恋慕というものを描かせたら、オンライン小説界ではこの人の右に出るものは居ないのではないかとさえ思う。それくらいに、彼女の描く女性像というものは現実感を持っていて、それでありながら、現実離れした純粋さを保ちつづける。嫉妬や行き違いのような、現実にあったら醜く生々しくなってしまうようなことさえもが、彼女の作品の中ではその裏にあるどうしようもない恋慕という感情の美しさに焦点が合わさる。
現実世界にこの作品に登場する彼らのような人がいるだろうかというと、居ると断言できる。けれどそれが100%全て彼らと等しいかといわれると、否と私の感情は答える。
人は、――おおよその人間というものは――苦しみを別の形にしてすり替え、どうしても自分を苦しくないように保ちつづけるのだ。それは人が普遍的に持っている、強さであり弱さだと私は思う。
たぶん、これは、持って生まれた視点――というか、人というものを見つめる時の方向性や基準が生んだものなのではないかと思のだが、彼女の作品の多くに登場する人間たちはどうしようもなく強い。強いが故に孤独で、美しいが故に孤独だ。
元来人というものは孤独なのだと私は思う。ある組織に組み込まれている一瞬感だけ、人は孤独を忘れる。たとえ小さな螺子だとしても、それはそこに存在を許された螺子だからだ。だからこそ、人は恋愛においてもパートナーという枠組みを大事にするし、結婚という形態を大切にするんだろう。私は(というか私と旦那は)そういう感情に乏しいが、それでも、お互いの内面の根底にあるのは相手が自分をこの世界の中で一番必要としているという確信であったりするのだから。
小説というのは常にフィクションだ。私小説であろうとも、それは「私」という個体の思考フィルターを通過させた事実とそこから派生する感情の流れであって、ノンフィクションではない。事実と真実は必ずしも同一のものではないし、真理にしても然りなのだ。
だが、なぜ、フィクションの中にこうも真実が描き出されたり真理が浮き彫りになったりするんだろう。そういう感情を抱かせてくれる、稀有なオンライン小説だと、私はこの作品について思う。
この作品は20代前半の男女4人が描き出す、恋慕の感情の物語である。誰かを求めるということがどれだけ切実で、大切で、強くて、そしてこの世の全てのことよりも脆いのかという話である。
恋愛小説というと、どこか恋愛の過程や駆け引きそのものを「読ませる内容」とするような印象があって、私はこの小説を恋愛小説を呼びたくない。この話は「過程や駆け引き」の話ではなくて「愛することそのもの」の話だからだ。
この話は原稿用紙換算で20枚弱の短編である。だが、短編であるという印象をあまり受けない。それは内容の充足度が既に短編という範疇を越えているのと、20枚弱という容量の何処にも一文字の無駄もないからだろう。
内容だけでなく、完成度も高い。
愛する事に傷ついた瞬間にも、愛することを疑った瞬間にも、愛する事に満ち足りた瞬間にも読んでもらいたい作品である。
私的ツボ度:★★★★★
Posted by 風間 : 2000年12月28日 00:00 | トラックバック